平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

マイケル・バー=ゾウハー『エニグマ奇襲指令』(ハヤカワ文庫NV)

 連合軍のフランス進攻が目前に迫った折り、英国はナチの最新ロケット兵器完成の報を入手した。その攻撃を未然に防がぬ限り、連合国の勝利はあり得ない。だが、極秘暗号機エニグマによって作成される敵の通信文は解読不可能。遂に英国情報部は一大作戦に踏み切った。エニグマを奪取せよ――しかも敵軍に感知されずに! 白羽の矢を立てられたのは服役中の大泥棒ベルヴォアール。自由と多額の現金を保証された彼は、傑出した変装技術を武器に、独軍占領下のフランスへ単身潜入した! スパイ小説の気鋭がスピーディに描く会心の戦争サスペンス!(粗筋紹介より引用)
 1978年、マイケル・バラク名義でアメリカで発表。1980年9月、邦訳刊行。

 

 作者はイスラエル出身で、後に国会議員になっている。『過去からの狙撃者』と『パンドラ抹殺文書』を昔読んだきりなので、手に取るのは久しぶり。作者はスパイ小説が中心であり、本書は唯一の冒険小説といわれている。
 エニグマは実際にドイツで使われていた暗号機。エニグマギリシア語で謎を意味する。背景となる歴史的事件や人物の描写はおおむね事実に即しているが、MI6やSOE長官の名前やキャラクターは作者の創造である。
 第二次世界大戦でドイツが使用していたエニグマ暗号機による通信文を解読するために、英国情報部はエニグマを敵に感知されない様に奪取する計画を立てる。選ばれたのはベルヴォアール。仲間からは男爵と呼ばれており、父親もド・ベルヴォアール男爵と名乗っていた泥棒だった。パリで強制収容所に贈られた金持ちのユダヤ人やレジスタンスの指導者から金品を奪い取り、ドイツに横流ししていた。ところが途中でやめ、パリのゲシュタポ中央倉庫から半トンの金を盗み出し、フランスに輸入した。仲間の裏切りで、英国に上陸したときに捕まった。MI6のブライアン・ボドリー長官はダートムア監獄に繋がれているベルヴォアールに、無罪放免と二十万ポンドの報酬を提示する。
 一言でいうと、第二次世界大戦版アルセーヌ・ルパン冒険譚である。変装の名人で、知力体力があり、女性にもて、部下や仲間に慕われているベルヴォアールが、ドイツの厳重な管理下に置かれているエニグマをいかにして奪取するか。昔の冒険小説に出てくる騎士と変わらない。敵対するドイツ軍情報部のルドルフ・フォン・ベック大佐もフェアプレイに徹しているところなど、余計に騎士団物語の印象が強い。正直、当時の戦争下でこれだけの活躍が可能なのかどうかは疑問だが、それすらも感じさせないベルヴォアールの活躍をただ楽しむ。そんな作品である。
 スピーディーな展開で面白かったけれど、ちょっと古風すぎたかな。

日経woman編集『早く絶版になってほしい #駄言辞典』(日経BP)

駄言・だげん】とは?
「女はビジネスに向かない」のような思い込みによる発言。特に性別に基づくものが多い。相手の能力や個性を考えないステレオタイプな発言だが、言った当人には悪気がないことも多い。
「えっ男なのに育休取るの?」「男なんだし残業くらいしろー」「家事、手伝うよ」「ヘェ…それ彼氏の影響?」「就活は女性らしくスカートで」「ママなのに育休取らないの?」「君は女の子なのに仕事ができるね」
 女らしさ、男らしさ、キャリア・仕事能力、生活能力・家事、子育て、恋愛・結婚――400を超える駄言に、どう立ち向かえばいいのか(折り返し、帯より引用)
 2021年6月、刊行。

 

 2020年11月、日本経済新聞の紙面で呼びかけられた、心をくじく「駄言」のエピソードを集めてまとめたもの。第1章は集まった「駄言」のリスト、第2章は「駄言」についての6人へのインタビュー、第3章はどう立ち向かえばよいかである。
 読んでいて、心がくじけそうになりましたよ。無意識で使っている言葉が多い。酒を飲んでなくても、平気で言っていそうな言葉もある。言われてみれば、たしかに「駄言」だなと思えるものが多い。もう読んでみて、としか言いようがないくらい、心に刺さります。まあ一部は、「そんな意味では言っていない」とか「そういうつもりはない」とか「それは昔から伝わる表現だ」とか言い訳しそうだけど、それ自体が間違いだということに気付いてほしいな。一部の政治家とか評論家とかタレントとかがこういう発言をして批難の嵐に合っているのを見て、自分ならそんなことは言わないよ、という人にこそ読んでほしい一冊である。

ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(創元推理文庫)

 高校生のピップは自由研究で、5年前に自分の住む町で起きた17歳の少女の失踪事件を調べている。交際相手の少年が彼女を殺害し、自殺したとされていた。その少年と親しかったピップは、彼が犯人だとは信じられず、無実を証明するために、自由研究を口実に警察や新聞記者、関係者たちにインタビューをはじめる。ところが、身近な人物が次々と容疑者として浮かんできてしまい……。予想外の事実にもひるまず、事件の謎を追うピップがたどりついた驚愕の真相とは。ひたむきな主人公の姿が胸を打つ、英米で大ベストセラーとなった謎解きミステリ!(粗筋紹介より引用)
 2019年、英国で発表。2020年のブリティッシュ・ブックアワードのチルドレンズ・ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞。2021年8月、邦訳刊行。

 

 ロンドン在住の作者のデビュー作。
 5年前、アンディ・ベルという17歳の少女が失踪し、恋人のサリル(サル)・シンが自殺したため、サルがアンディを殺害したとして捜査は終了した。しかしリトル・キルトン・グラマースクールの最上級生であるピッパ(ピップ)・フィッツ=アモーヒはサルの無実を信じ証明するため、自由研究による資格取得にかこつけ、「2012年、リトル・キルトンにおける行方不明者(アンディ・ベル)の捜査に関する研究」というタイトルで、サルの弟ラヴィに手伝ってもらいながら捜査を始める。
 自由研究とはいえ、こういうテーマが通ってしまうというのは、田舎町とはいえさすがイギリス。日本だったら話をした時点で却下されるだろう。というか、自由研究による資格取得、EPQ(Extended Project Qualification)という制度があるなんて知らなかった。
 今だったらSNSを駆使して、いろいろと調べることができるんだよなと素直に感心。情報開示請求で警察の捜査のある程度の内容も知ることができるんだな。昔だったら警察とか記者に親戚や知り合いがいて裏事情などを得ることが多かったのにな、などと思ってしまった。結構デリケートな内容も多く、関係者も口を噤むのではないかと思うのだが、わりとペラペラ喋っているのには、まあミステリなんだなと思うことにしよう。
 それにしてもいくら調査のためとはいえ、名前を偽って関係者とLINEをし、ドラッグの売人の家に行くなど結構危険なこともやっている。当然ピップが危ない目に合う展開もあり、その辺も読者をひきつけているのは事実。
 情報を得るたびにレポートの内容が厚くなり、容疑者も増えてくるとともに、最重要容疑者の名前が変わってくる。その二転三転する展開を楽しむとともに、驚きの結末が楽しめる作品に仕上がっている。
 面白かったけれど、傑作とまでは言えなかったかな。イギリスで大ベストセラーとなったとあるが、高校生が読むというより、大人が読んでこんな高校生の子供が欲しいと言わせるような作品という感があった。続編が残り二冊出ているとのことなので、邦訳を待ちますか。

エリー・グリフィス『見知らぬ人』(創元推理文庫)

 これは怪奇短編小説の見立て殺人なのか? ――イギリスの中等学校(セカンダリー・スクール)タルガース校の旧館は、かつてヴィクトリア朝時代の作家ホランドの邸宅だった。クレアは同校の英語教師をしながら、ホランドの研究をしている。10月のある日、クレアの親友である同僚が自宅で殺害されてしまう。遺体のそばには"地獄はからだ"という謎のメモが。それはホランドの怪奇短編に繰り返し出てくる文章だった。事件を解決する鍵は作中作に?  英国推理作家協会(CWA)賞受賞のベテラン作家が満を持して発表し、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長編賞受賞へと至った傑作ミステリ!(粗筋紹介より引用)
 2018年、イギリスで発表。2020年、アメリカ探偵作家クラブエドガー賞最優秀長編賞を受賞。2021年7月、邦訳刊行。

 

 作者はイギリスの人気ミステリ作家。1998年、本名のドメニカ・デ・ローザ名義の"The Italian Quarter"でデビュー。2009年にエリー・グリフィス名義で発表した"The Crossing Places"が好評を博し、法医考古学者ルース・ギャロウェイを探偵役に据えたこのシリーズは2021年現在13巻を重ねている。また、2014年にスタートしたエドガー・スティーヴンス警部と戦友マックス・メフィストのシリーズも好評を博している。MWAのメアリー・ヒギンズ・クラーク賞とCWAの図書館賞を受賞している。
 物語は英語教師のクレア・キャシディ、同居するクレアの15歳の娘ジョージアニュートンサセックス警察犯罪捜査課部長刑事のハービンダー・カーの3人の視点で語られている。クレアの同僚、エラ・エルフィックが殺され、ローランド・モンドメリー・ホランドの短編「見知らぬ人」に繰り返し出てくる文章のメモが残されていたという事件が発生。クレアの視点で事件が語られたと思ったら短編「見知らぬ人」の一部が差し込まれ、次はハービンダーの視点で事件がもう一度語られ、終わりに「見知らぬ人」の一部が差し込まれたら、次はジョージアの視点で事件の話が続く。そして三人の視点で交互に話が進み、視点が切り替わる直前に短編が差し込まれる。
 最初はクレアの日記からの引用で、この時はそれほど深く考えずに読んでいたのだが、ハービンダーの視点に切り替わってから事件と作中世界に引き込まれて面白くなり、ジョージアの視点で一挙に怪奇色が深まってから面白くなっていった。多重視点で物語が進むという作品はそれなりにあるが、同じ事件を三人で語らせてさらに作中作を挟むことで物語の興味をひきつけるその手法に感心した。やはり人気作家となるだけの腕と実力を持ち合わせた作者ならではの技なのだろう。
 所々で触れられる作中作の怪奇さも満足いく仕上がりであり、そして連続殺人からの解決に感心。最後は思わず膝を打ちました。見事としか言いようがない。英国ミステリの底力をまざまざと見せつけてくれました。傑作です。
 次もハービンダーが登場するとのこと。非常に楽しみである。