平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

佳多山大地『新本格ミステリを識るための100冊 令和のためのミステリブックガイド』(星海社新書)

 本格ミステリの復興探究運(ルネッサンス)――<新本格ミステリ>ムーブメントは、戦後日本における最長・最大の文学運動です。綺羅星の如き才能と作品群を輩出してきたその輝きは、令和に突入した今に至る本格ミステリシーンにまで影響を及ぼし続けています。本書では、<新本格>の嚆矢である綾辻行人十角館の殺人』が刊行された1987年から2020年内までに刊行された日本の本格ミステリ作品より、その潮流を辿るべく100の傑作を厳選しご案内。さらにその100冊のみならず、本格ミステリ世界へ深く誘う<併読のススメ>も加え、総計200作品以上のミステリ作品をご紹介します。さあ、この冒険の書を手に、目眩く謎と論理が渦巻く本格ミステリ世界を探索しましょう!(作品紹介より引用)
 『ファウスト』2011年夏号(講談社)に掲載された「新本格を識るための100冊」を基に、100冊の約1/3を入れ替え、大幅に加筆して、2021年8月、書下ろし刊行。

 

 「第1章 第一世代の肖像」「第2章 今日もどこかで<日常の謎>」「第3章 ザッツ・アバンギャルド!」「第4章 この国の"畏怖すべき"かたち」「第5章 先覚者のプライド」「第6章 未来、あるいはこの世の外へ」「第7章 お隣のサイコ、お向かいのカルト」「第8章 一発当てて名を刻む」「第9章 オルタナティブな可能性」「第10章 新本格ムーブメント再起動!」に分けられた章で、合計100冊の作品を紹介している。
 作者には申し訳ないが、新本格ミステリムーブメントがまだ続いているとは全く思わない。UWFが結局プロレスに取り込まれたように、新本格ミステリもとっくの昔にミステリに取り込まれているからだ。今回選ばれている100冊も、あくまで「新本格ミステリを識るための100冊」であり、すべてが新本格ミステリというわけではない。一応最後に「新本格ミステリ年表」が記載され、『十角館の殺人』が発表された1987年からの年表となっているが、選ばれている100冊を見ると、結局本格ミステリもしくはそれに準ずるものの作品であり、新本格ミステリではない作品も多い。綾辻などに影響された作家もいるだろうが、全く関係ない人もいるだろう。綾辻以降に書かれた本格ミステリ作品が、何でもかんでも新本格ミステリではない。佳多山大地はそのことをわかっていながら、あえて100冊を選んでいる。嫌な言い方をすると、ミスリードだ。佳多山大地本格ミステリに偏りながら100冊を選んだガイドブックといっていい。
 私個人の偏見的な意見だが、新本格ミステリムーブメントの最大の功績って、現実的に不自然もしくは有り得なかろうが、人物造形ができていなかろうが、名探偵のキャラクターや謎解きなどのごく一部が特化して面白ければ、そしてごく一部に受けるだろうと予想できれば、割とスムーズに出版されるようになった事だと思っている。
 既読は100冊中72冊。思ったより読んでいたなという印象。それとこのブックガイドの最大の落ち度は、はやみねかおるを選んでいないことである。

犯罪の世界を漂う

https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/climb.html
無期懲役判決リスト 2021年度」に1件追加。

 24日の日記に書いた「田上被告は求刑2つ出ているんだからさ、ちゃんとその旨と判決も記事にしてほしいよ」だけど、判決要旨にわかりやすく書いてあったのは読売。ちょっとわかりにくかったが書いてあったのは朝日。逆に書いてなかったのは毎日と産経。頼みますよ、本当に。

 

米澤穂信『真実の10メートル手前』(東京創元社)

 高校生の心中事件。二人が死んだ場所の名をとって、それは恋累心中と呼ばれた。週刊深層編集部の都留は、フリージャーナリストの太刀洗と合流して取材を開始するが、徐々に事件の有り様に違和感を覚え始める……。太刀洗はなにを考えているのか? 滑稽な悲劇、あるいはグロテスクな妄執――己の身に痛みを引き受けながら、それらを直視するジャーナリスト、太刀洗万智の活動記録。日本推理作家協会賞受賞後第一作「名を刻む死」、本書のために書き下ろされた「綱渡りの成功例」など。優れた技倆を示す粒揃いの六編。(粗筋紹介より引用)
 『ミステリーズ!』他掲載作品に書下ろしを加え、2015年12月、単行本刊行。

 

 高齢者にインターネットを介して日用品や医薬品を届けるサービスで急成長したフューチャーステア。しかし有機栽培の農畜産品を利用した会員配当システムが失敗し、4日前に経営破綻した。そして社長の早坂一太と超美人広報としてテレビに出ていた妹の真理が失踪した。二人の妹である弓美は、面識のあった太刀洗に酔った真理から電話があったことを話し、捜してほしいと依頼する。東洋新聞大垣支局に所属する太刀洗と、今年配属されたカメラマンの新人である藤沢吉成は特急に乗る。「真実の10メートル手前」。
 人身事故で電車がホームで止まっている。よくあることだと思っていたら、吐き気を催す光景を見つけた。笑みを浮かべた女記者が現場を見てメモを取り、携帯電話で撮影をしている。さらにボイスレコーダーで事件記録をメモしている。駅員から注意のアナウンスが入るが、気にせず取材を続けている。見苦しい。「正義感」。
 三重県の高校生、桑岡高伸と上條茉莉が遺書を残して心中した。二人が死んだ場所から「恋累(こいがさね)心中」とマスコミに名付けられた。『週刊深層』編集部の都留正毅は現地に取材に行くが、編集長は月刊の方で仕事をしているフリーライターがたまたま近くにいたので、取材コーディネーターを依頼したという。それが、太刀洗万智だった。二人は取材を行うが、都留は事件に違和感を覚えてきた。「恋累心中」。
 一人暮らしの無職の老人、田上良造が孤独死した。発見したのは、中学三年生の檜原京介。学校への往復でいつも見かける人物がいなかったことと、変な臭いがしたので、ブロックの風抜き穴から覗いて見つけたものだった。最初こそ取材攻勢を浴びたが、次のニュースが出ると誰も気にしなくなった。それから二十日後、フリーの記者である太刀洗万智が京介の元を訪れた。「名を刻む死」。
 イタリア系企業で働くヨヴァノヴィチは仕事で来日したが、妹の友達である太刀洗万智にどうしても会いたかった。取材中の彼女と約束が取れたのは一日だけ。ヨヴァノヴィチは太刀洗の取材に付き合う。6日前、16歳の少年が、姉の3歳の娘をナイフで殺害した事件を追っていた。「ナイフを失われた思い出の中に」。
 長野県南部を襲った水害で、三軒の民家が土砂崩れで孤立した。その場所は高台にあり、東から南は取り巻く川が濁流と化し、橋も流されていた。上空は高圧線が通っていて空から近づくことはできなかった。救助作業が土砂で崩れた西側からしかなかった。救助隊は進路を切り開き、4日目に老夫婦を助け出すことができた。そのシーンは、テレビで全国に流れた。テレビのインタビューで老夫婦は、三男一家が正月に来た時に残した非常食のコーンフレークで生き延びたという。次の日、消防団の一人、大庭の大学の先輩である太刀洗が訪ねてきた。「綱渡りの成功例」。
 『さよなら妖精』『王とサーカス』に出てくる太刀洗万智を主人公とした短編集。「真実の10メートル手前」は新聞社時代、残り5作はフリージャーナリスト時代に太刀洗万智が遭遇した事件である。あとがきにあるが、元々大刀洗を主役としたシリーズ短編を書くつもりはなかったという。色々な経緯を経て、シリーズ短編を書くようになったとのことだが、こうやってまとめて読んでみると、本格ミステリとして論理的に事件の真相に近づく謎解き者としての姿と、その真相にまつわる人々の心理と行動を表に出すジャーナリストとしての姿が絡み合った短編集となっている。
 これだったら、もう少し太刀洗万智を主人公とした短編集を読んでみたい。書くのは大変かもしれないけれど

犯罪の世界を漂う

https://hyouhakudanna.bufsiz.jp/climb.html

「高裁係属中の死刑事件リスト」「死刑執行・判決推移」を更新。
無期懲役判決リスト 2021年度」に1件追加。

 田上被告は求刑2つ出ているんだからさ、ちゃんとその旨と判決も記事にしてほしいよ。

 とりあえず判明分のみ更新しています。新しい判明事項があれば、明日以降に追加します。

 

 ここ数ヶ月色々ありまして、メール等の返信が全然できていません。まことに申し訳ありません。

小島和宏『W☆ING流れ星伝説 星屑たちのプロレス純情青春録』(双葉社)

  1991年8月7日、後楽園ホール。のちにプロレス史にその名を刻むインディー団体、「世界格闘技連合 W☆ING」がTAKE-OFF(離陸)した。だが、わずか3シリーズをもって団体は分裂。茨城清志は新たな団体、「W☆INGプロモーション」を設立へと動く。大半のスタッフ、選手と共に同年12月10日、「SKY HIGH AGAIN」を後楽園ホールで開催する。資金は持ち出し、リングは全日本女子プロレスから10万円で借りるなど、“ないない尽くし”の再旗揚げ戦。茨城は破格のギャラを払ってミル・マスカラスを招聘。満員にはならなかったものの、なんとか再スタートを切ることに成功した。
 W☆INGのリングに集まった男たちは、誰もが世間的には無名だった。メジャー団体の選手のようなめぐまれた体格や身体能力がはなかった。だが、プロレスに憧れ、愛する気持ちだけは誰にも負けていない。それは、団体の運営を担うフロントの男たちも同様だった。どうしたら、リングで輝けるのか。どうしたら、世間にW☆INGを知ってもらえるのか。その煩悶の中、男たちは汗と血と涙を流しながら、きらめきを求めて過激なデスマッチへと身を投じていく。夜空に一瞬、輝く流れ星のごとく――。
 齋藤彰俊松永光弘金村ゆきひろ、菊澤光信(元W☆ING練習生)、茨城清志元代表、大宝拓治元リングアナウンサー、畑山和寛元レフェリー、ロッシー小川(当時、全日本女子プロレス広報部長)他。当事者たちが語る、W☆INGの立ち上げから、崩壊に至るまでの2年7か月。給料さえほとんど出ない中、男たちはなぜ血を流し、その闘いに観客は熱狂したのか。当時、週刊プロレスの担当記者としてW☆INGを追い続けた小島和宏記者が描き出す、「世界で最も過激な団体」30年目の真実。(粗筋紹介より引用)
 2021年8月、書下ろし刊行。本当はW★INGと星は黒く塗られているのだが、本の中では頁が黒くなってしまうと、あえて☆を使っている。

 

 プロレス界から姿を消した元リングアナウンサー、スタッフの大宝拓治が25年ぶりくらいに小島和宏に電話をかけたところから本書は始まる。FMWから分かれたスタッフたちが1991年8月7日、後楽園ホールで旗揚げした世界格闘技連合W★ING。経営不振、路線対立などからわずか3シリーズで分裂。社長だった大迫和義(元FMW社長)は、茨城清志と大宝拓治を追放し、川並政嗣レフェリーと「世界格闘技連合WMA」を設立。しかしブッカーのビクター・キニョネスやレスラーのほとんどは茨城清志と大宝拓治が立ち上げたW★INGプロモーションに付いたため、WMAは旗揚げ戦すら行うことができず崩壊。W★INGプロモーションは12月10日に再旗揚げし、その後デスマッチ路線に進んで「世界で最も危険な団体」と言われるようになる。1994年3月13日を最後に、わずか2年3か月の寿命であった。それでも一部のプロレスファンにとっては、強い印象を与えた団体であることは間違いない。
 当事者たちの証言を読んでみて、ビクター・キニョネスや外国人レスラーを除くと、言い方は悪いが、プロレスも経営も素人集団の集まりだったんだなと思わせる。本当に行き当たりばったり。それがたまたまうまく回った頃はよかったが、一つ回らなくなると負の連鎖がどんどん重なっていく状態。売り興行で全然金をもらえないって、どういうやり取りをしていたのだろうかと思ってしまう。メインスタッフのほとんどが給料をもらっていないとか、いったいどういうことと聞きたい。それでも所属レスラーも含めて、好きだったからできたのだろうと思ってしまう。松永光弘が、『W★ING崩壊のA級戦犯松永光弘だ! 』と自分で言っているけれど、松永が悪いとは思えないなあ。後楽園ホールのバルコニー席からのダイブとか、五寸釘デスマッチで本当に五寸釘に落ちてしまうとか、体を張ってW★INGを支えたのは松永だったんだし。
 ビクター・キニョネス、ミスター・ポーゴ木村浩一郎保坂秀樹などすでに亡くなった人もいるし、徳田光輝や非道など表に出なくなった人もいる。実は違うぞと言いたい人もいるだろう。だが、これだけの主要人物からの証言を集めた本書は、まさにW★INGの終焉にふさわしい一冊だと思う。