平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

漂泊旦那の日記です。本の感想とサイト更新情報が中心です。偶に雑談など。

伊坂幸太郎『死神の浮力』(文春文庫)

 娘を殺された山野辺夫妻は、逮捕されながら無罪判決を受けた犯人の本城への復讐を計画していた。そこへ人間の死の可否を判定する“死神”の千葉がやってきた。千葉は夫妻と共に本城を追うが――。展開の読めないエンターテインメントでありながら、死に対峙した人間の弱さと強さを浮き彫りにする傑作長編。(粗筋紹介より引用)
 2013年7月、単行本刊行。2016年7月、文庫化。

 

 2005年に発表された短編集『死神の精度』の死神、千葉が長編で登場。まさかこの設定が長編になるとは思わなかった。
 マスコミによる被害者への過剰な取材、被害者と加害者の関係、サイコパスな殺人者、裁判などの社会的な問題が散りばめられつつ、“死神”である千葉の言動がどこか頓珍漢ながらも、我々の“常識”へ一石を投じている形になっているのは面白い。作者にそんな意図はないだろうけれど。ただ、くどさを感じたところもあったので、ちょっと長すぎたかな。
 最後は怖い結末だったが、あえてこれも作者が一石を投じたのかな。

石持浅海『君が護りたい人は』(祥伝社 ノン・ノベル)

  成富歩夏が両親を亡くして十年、後見人だった二十も年上の奥津悠斗と婚約した。高校時代から関係を迫られていたらしい。歩夏に想いを寄せる三原一輝は、奥津を殺して彼女を救い出すことを決意。三原は自らの意思を、奥津の友人で弁護士の芳野友晴に明かす。犯行の舞台は皆で行くキャンプ場。毒草、崖、焚き火、暗闇……三原は周到な罠を仕掛けていく。しかし完璧に見えた彼の計画は、ゲストとして参加した碓氷優佳によって狂い始める。見届け人を依頼された芳野の前で、二人の戦いが繰り広げられる――。(粗筋紹介より引用)
 2021年8月、書下ろし刊行。

 

 碓氷優佳シリーズ最新刊。著者の言葉に「第5の事件」とあるし、ちらしにも「シリーズ第5弾」とあるのだが、高校時代の短編集はシリーズに入っていないのか、などと思ってしまった。
 殺人計画を、ある意味見守る立場による人物の視点で進む作品。珍しいといえば珍しいが、逆に描き方が難しい。変な意味で、神の視点に近い立場になっている。それがうまくいったかどうかと言われたら、残念ながら今一つだったといえるだろうか。
 碓氷優佳が完璧すぎて面白くない、ということもあるが、それ以上に犯人である三原一輝のあまりにも独善とした考え方が、作品を読んでも面白くないものになっている。いくら年齢差があるからといって、あれだけイチャイチャしているカップルを見て、自分の考え方が間違っているとは思わないのだろうか。まあ、恋に盲目な人は、自分の思う方向にしか考えられないのだろうが、逆に今まで何も手を出さなかったのも変な話。はっきり言ってバカじゃないか、と思ってしまうので、全然同調できないんだよな。そこらへんが書き込み不足なイメージを持たせて、損をしている。
 それにしても、結婚しているのに名前すら全然出てこない碓氷優佳の旦那。何か裏があるのじゃないかとずっと思っているのだが、数年に一度の長編ペースじゃ、細切れ過ぎる。

ウィリアム・サファイア『大統領失明す』上下(文春文庫)

  失明した大統領に大統領職はつとまるのか? テロにより失明した第41代大統領エリクソンは、アメリカ政治史上例のない難問に直面させられた。不屈の闘志で留任を主張するエリクソンに、宿敵バナーマン財務長官は憲法修正第25条をかざして激しく退陣をせまる。ピュリッツァー賞受賞のコラムニストが描く迫真と感動の政治小説。(上巻粗筋紹介より引用)
 憲法修正第25条によれば不能となった大統領は引退しなければならない。が、失明は不能といえるのか? 両派の全力を傾倒した主張と工作が、閣議、議会に向けて続けられた――。当代一の人気政治記者サファイアが、持てる材料のすべてをつぎこんで、大統領と周辺の人々の愛と正義と欲望に揺れる姿を描いた一時代を画す傑作。(下巻粗筋紹介より引用)
 1977年、発表。1985年4月、邦訳、文春文庫で刊行。

 

 作者はニューヨーク・タイムズのオプ・エド(社説面の対向)ページにコラムを書き続けてる人気ジャーナリスト。ニクソン大統領時代は大統領草稿係秘書として演説原稿を書いていたとのこと。そのときの経験が本作品を書かせたのだろう。
 アメリカのエリクソン大統領と、ソ連のコルコフ書記長との頂上会談がソ連で行われていた。9日間の訪ソ日程の7日目、二人が同乗していたヘリがテロに襲われ、コルコフは死亡、そしてエリクソンは失明する。そして失明した大統領は、大統領として正しい判断を行うことができるのか。失明は、憲法修正第25条に書かれた「不能」にあたるのか。エリクソン側と政敵バナーマン側の激しい戦いが繰り広げられる。
 冒頭からの緊迫感のある魅力的な展開。そしてアメリカならではの政治劇。ホワイトハウスの知られざる内側(アメリカ人から見たら知られている内容なのかもしれないが)が面白いし、大統領やその後のポストをめぐる駆け引きも面白い。不測の事態を通し、表面に出てくる欲望と策謀が何ともリアル。憲法修正第25条をめぐるやり取りは、言葉という刀で切り合いをしているようである。追い詰める者と、追い詰められて反撃する者の、大統領という地位と権力を巡っての殴り合いに、愛情や友情、信頼などが絡み合うところが実にいい。手に汗握る政治ドラマとは、こういうものなのだろう。
 読み終わってどことなくからっとしているのは、アメリカならではのお国柄なのかな。日本だったらもっと陰陰滅滅な展開になりそうだ。
 実際の第41代大統領はジョージ・H・W・ブッシュ。本作品出版より12年後に就任している。

連城三紀彦『運命の八分休符』(創元推理文庫)

 困ったひとを見掛けると放ってはおけない心優しき落ちこぼれ青年・軍平は、お人好しな性格が災いしてか度々事件にまきこまれては素人探偵として奔走する羽目に。殺人容疑をかぶせられたモデルを救うため鉄壁のアリバイ崩しに挑む表題作をはじめとして、奇妙な誤認誘拐を発端に苦い結末を迎える「邪悪な羊」、数ある著者の短編のなかでもひときわ印象深い名品「観客はただ一人」など五人の女性をめぐる五つの事件を収める。軽やかな筆致で心情の機微を巧みにうかびあがらせ、隠れた傑作と名高い連作推理短編集。(粗筋紹介より引用)
 『オール讀物』(文藝春秋)へ1980~1983年に発表した4作品と、『小説推理』(双葉社)に1982年に発表した「紙の鳥は青ざめて」を加え、1983年3月、文藝春秋より単行本刊行。1986年5月、文春文庫化。2020年5月、創元推理文庫より刊行。

 

 大学を出て3年、定職にもつかずぶらぶらしていた田沢軍平が2か月前、紹介してもらったのがガードマンの仕事だった。相手は日本ファッション界の売れっ子モデル、波木装子。紹介されたときには、装子を悩ましていた脅迫電話は解決していたが、装子は軍平のことを気に入り、時々電話をかけてきて、食事や酒に二三時間付き合わされていた。しかし今日呼び出された用事は違った。三日前、装子のライバルであり、ファッション界の大御所マグ・カートンに引き抜かれたトップモデルの白都サリが殺害され、その容疑者のひとりに装子があがっていた。しかも前日、パーティで装子はサリをひっぱたいていた。本命の容疑者は、新進デザイナーでサリの元婚約者である井縫リョウジ。しかし事件当日、リョウジは大阪にいて、東京との飛行機の往復では2分間足りない、鉄壁のアリバイがあった。「運命の八分休符」。二分間のアリバイというのもすごいが、その謎解きも素晴らしい。そしてこの作品は、ラストがとてもきれい。映画みたい、というのがぴったりくる終わり方である。
 高校時代からの友人かつ憧れの存在でもあった歯科医の宮川祥子から、軍平に相談に乗ってほしいと頼まれた。患者である小学一年の曲木レイが誘拐された。一昨日、レイは同級生の剛原美代子と一緒に祥子の歯医者に来ていた。そこに電話がかかってきて、美代子の母親が事故を起こしたので返してほしいといわれたが、粗忽な祥子は間違えてレイを帰し、その途上で誘拐されたのだ。美代子の父親は有名スーパーチェーンの社長で、レイの父親はそのチェーン店の店長だったが、競馬でサラ金に手を出し、さらに店の金を使い込んで頸になったばかりだった。責任を感じた祥子は何とか二百万円をかき集め、曲木の家に行くので軍平についてきてほしいというのだ。美代子の代わりにレイがさらわれたので、身代金を貸してほしいとレイの父は美代子の父に頼むが、美代子の父ははねつける。「邪悪な羊」。誘拐物だが、連城が単純な誘拐物をやるわけがなく、これまた凝った仕掛けになっている。よくぞまあ、これだけのことを考え、惜しげもなく短編に投入するものだと感心する。
 ひょんなことから部屋に転がり込むようになった女優の卵、宵子に誘われ、軍平は宵子が研究生として所属する劇団「アクテーズ」を率いる新劇界の女王、青井蘭子のひとり芝居を見に行くことになった。その舞台は一度きり、自伝のような舞台で、しかも百人の客席にいるのは元婚約者の5名を含む、蘭子がかつて関係を持った男がほとんどであった。軍平は蘭子の一人芝居に胸を打たれたが、他の客は舞台にあまり関心を持たず、帰るものもいた。そして迎えたラスト、蘭子は取り出した拳銃で舞台中央のガラスの扉を撃つ。蘭子が拳銃を投げ捨て、舞台は終わるかに見えたが、謎の男が拳銃を拾い、蘭子の「胸を撃って」の台詞通りに拳銃を発射し、蘭子は倒れて芝居は終わった。演出の安田や宵子が舞台に出てきてカーテンコールとなるはずが、蘭子は本当に撃たれて死んでいた。拳銃は蘭子自身が不法所持していたものだったが、弾は元々一発しか入っていなかった。そして最後のシーンは蘭子自身が演出したものだった。衆人環視の中、誰が一体どうやって蘭子を撃ったのか。「観客はただ一人」。虚飾に飾られた大女優が演じるひとり芝居そのもののような作品である。本作品集の中でも、インパクトは一番強い。
 軍平が当てもなく歩いていると、一匹の犬が無理矢理屋敷まで引っ張られた。居間では織原晶子が左手首を切って倒れていた。慌てて応急処置をすると、軽い傷だったらしく、晶子は目を覚まし、夕食をふるまいながら身の上話をした。晶子は31歳、料亭で仲居をしている。五年前に結婚した旦那の一郎が一年前、芸能プロで働いていた妹の山下由美子と駆け落ちした。年末、離婚届の入った封筒の消印から金沢にいるとわかった晶子は、由美子の婚約者だった夏木明雄と金沢を探し、二月の初めに二人の住むアパートを見つけた。四人で話し合いをするも埒が明かず、次の日二人はアパートから逃げ出し、夏木も姿を消した。実は夏木は1000万円を使い込んで一月から逃げていたのだ。それから半年近くったのが今日だった。その翌日、軍平の部屋を訪れた晶子は、昨日の朝刊を見せる。群馬県白根山中腹の林の奥深くで、死後六か月は経った男女の腐乱死体が発見されたという。年齢や身長が一郎と由美子に似ているので話を聞きに行くが、軍平にも着いてきてほしいという。「紙の鳥は青ざめて」。心中事件を核に淡々と物語は進むが、男と女の繋がりの綾が鮮やかな反転図となって最後に完結する。
 大学時代の空手部の先輩で、今も可愛がっている医者の高藤に連れられ、軍平は銀座のクラブにやってきた。隣に座ったのは、入ってまだ半月という梢。時間が経ち、毬絵がいないというママの言葉に梢が探しに行ったが、毬絵は控室で腕を刺されて倒れていた。警察に知らせたくないというママの頼みで高藤が応急処置したが、毬絵は犯人を見つけてくれと騒ぎだした。客を横取りされた四人のホステス、そしてパトロンを誘惑されたママに動機があった。「濡れた衣装」。軍平が現場の状況で謎解きをする物語。他の作品と比べると、ちょっと毛色が異なるか。
 定職もない落ちこぼれでお人好しな青年の田沢軍平が女性と出会い、そして事件に巻き込まれ、謎解きを行う連作短編集。技巧を技巧と思わない筆致は素晴らしいし、お人好し過ぎて優しい軍平と傷を負った女性のすれ違いな触れ合いが物語を豊かにしている。今読んでも、まったく色褪せない作品集であることに驚き。「隠れた傑作」にふさわしいし、復刊が喜ばしい。

今村昌弘『兇人邸の殺人』(東京創元社)

 "廃墟テーマパーク"にそびえる「兇人邸」。班目機関の研究資料を探し求めるグループとともに、深夜その奇怪な屋敷に侵入した葉村譲と剣崎比留子を待ち構えていたのは、無慈悲な首切り殺人鬼だった。逃げ惑う狂乱の一夜が明け、同行者が次々と首のない死体となって発見されるなか、比留子が行方不明に。さまざまな思惑を抱えた生存者たちは、この迷路のような屋敷から脱出の道を選べない。さらに、別の殺人者がいる可能性が浮上し……。葉村は比留子を見つけ出し、ともに謎を解いて生き延びることができるのか!? 『屍人荘の殺人』の衝撃を凌駕するシリーズ第三弾。(粗筋紹介より引用)
 2021年7月、書き下ろし刊行。

 

 日本でも有数の医療製薬関連企業である成島グループの子会社の社長である成島陶次の依頼により、班目機関の研究資料を手に入れるために向かったのは、"生ける廃墟"として人気を博す地方テーマパークにそびえる「兇人邸」。運営会社の社長かつ兇人邸の主は、元班目機関の研究者。成果を手に入れるため、比留子たちは成島が雇った6人の傭兵とともに兇人邸に侵入する。途中、斑目機関の者たちの回想が差し込まれる。
 剣崎比留子シリーズ第三弾は、現役の"廃墟テーマパーク"にそびえる「兇人邸」。外に出られることも不可能ではないのに、クローズドサークル化してしまうという設定は面白い。ただ年寄りのせいか、イラストもあるのに兇人邸の構造が今ひとつわかりにくく、サスペンス味がそれほど感じられなかったのは少々残念。そういうもんなんだ、と思いながら読み進めていました。
 生き延びれるかどうかというサスペンスよりも、殺人事件の謎よりも、比留子と葉村の関係の方に目が行っちゃったな。どうもマンガを読み返していたせいか、本作の比留子が思ったより冷たく感じていたのだが、前作を思い返すと、比留子はこういう性格だったよな、と今さらながら思い出してしまった。ホームズとワトソンという二人の関係を、今さらながら認識させられたというか。個人的には比留子と葉村の何気ない会話が好きなんだが、今回はそれがほとんどなかったのが残念。
 殺人事件の謎の方は、途中まではそれほど盛り上がらなかったが、最後の一気呵成の謎解きはお見事。ただなあ、登場人物欄を見るだけでキーマンがだれかわかってしまうのはちょっとなあ。それと、最後の引きは卑怯! さっさと次作を出せと言いたくなる。
 前二作と比べると、ちょっとまどろっこしいところはあるけれど、十分楽しむことができた。なんだかんだ、今年のベストには入ってくるだろう。

山田宗樹『百年法』上下(角川文庫)

   不老化処置を受けた国民は処置後百年を以て死ななければならない――国力増大を目的とした「百年法」が成立した日本に、最初の百年目が訪れようとしていた。処置を施され、外見は若いままの母親は「強制の死」の前夜、最愛の息子との別れを惜しみ、官僚は葛藤を胸に責務をこなし、政治家は思惑のため暗躍し、テロリストは力で理想の世界を目指す……。来るべき時代と翻弄される人間を描く、衝撃のエンターテインメント!(上巻粗筋紹介より引用)
 不老化処置を受けた国民は処置後百年を以て死ななければならない――円滑な世代交代を目論んだ「百年法」を拒否する者が続出。「死の強制」から逃れる者や、不老化処置をあえて受けず、人間らしく人生を全うする人々は、独自のコミュニティを形成し活路を見いだす。しかし、それを焼き払うかのように、政府の追っ手が非情に迫る……世間が救世主を求める中、少しずつ歪み出す世界に、国民が下した日本の未来は!? 驚愕の結末!(下巻粗筋紹介より引用)
 2012年7月、角川書店より単行本刊行。2013年、第66回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)受賞。2015年3月、文庫化。

 

 勧められてようやく手に取ったのだが、面白くて一気読み。SFポリティカルサスペンス? どういうジャンルになるんだろう。
 戦後すぐに導入されたアメリカの新技術HAVI。不老となり、病気や事故、殺人などでなければ死ぬことがない。しかし血を入れ替えるために、HAVI処置後百年経ったら、生存権を始めとする基本的人権をすべて放棄する「生存制限法」、通称「百年法」。この設定がすごい。いや、確かに不老不死も、強制死去も、昔からあるネタではある。しかしこれらを日本社会に組み込み、それらにまつわる歴史を書き綴るというのはびっくりした。
 確かに死ぬのは嫌かもしれないが、しかし新陳代謝がなければ国力は衰退する。様々な矛盾と本能が交錯する社会の描写がうまい。特に日本人と日本社会ならではの曖昧さが絶妙。世の中を動かす政治家や官僚たちだけでなく、警察や一般市民、さらにテロリストなどの犯罪者なども含め、様々な考えを持つ者たちによる社会の変動と再生、歪みと苦悩と愛情が描かれており、壮大な歴史絵巻となっているところがすごい。生と死だけでなく、民主主義と独裁主義、権力、英雄、大衆、世論、願望、愛、親子、欲望と嫉妬、文化、生活、時の流れなど、様々な問題点が浮き彫りとなり、そして我々に問いを投げかける。一つの回答が、また新たなる歪みと疑問を生み出す。永遠に結論が出ない問題でありながらも、我々はそれに向かい合わなくてはならず、そして生き続けなければならない。
 人物の掘り下げが欲しいなと思うところもあるが、作者があえて触れないでいる部分も多そうだ。この作品はあくまで百年法を軸とした大河ドラマ。そんな作品なのだろう。傑作である。