平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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海渡英祐『影の座標』(講談社)

影の座標 (1968年)

影の座標 (1968年)

 

  中堅だが技術水準の高い光和化学の平取締役・研究所次長であり、社長関根俊吾の長女光子の婿でもある岸田博が土曜日の夜から行方不明となった。岸田は堅物で酒や女にも興味がない。しかも工業薬品の新製品開発の中心人物あった。関根は調査課の雨宮敏行と社史編纂担当の稲垣に、岸田を探してほしいと依頼する。雨宮は父親が元警視庁の名警部で、自らも高校時代から父親に協力して鋭い推理力を発揮しており、仲間内からはエラリイ・レーンというニックネームが与えられていた。しかし法律の勉強が性に合わず、平凡な会社員になっていた。雨宮の大学時代の同窓で、営業部係長の佐伯達也が関根の次女和子と交際しており、話を聞いた和子が関根に推薦した結果であった。そして雨宮は中高時代の同窓生である稲垣に協力を依頼したのだ。
 調査を進める二人だが、手がかりが少なく難航。社長秘書の北山卓治は、三年前に使い込みで首になった荒木進の存在を思い出す。また関根の元養子で現在は公認会計士の河村久信を訪ねても心当たりがない。しかし岸田の部下である小林幹夫が給料以上の遊びをしていることを突き止め、小林の家を訪ねるも、小林は殺されていた。
 1968年9月、講談社より刊行。

 

 海渡英祐は1967年に『伯林―一八八八年』で第13回江戸川乱歩賞を受賞しているので、本作は受賞後第一長編になるのかな。
 ワトソン役となった稲垣の視点で物語が進む。昭和40年代でレーンだとのワトソンだのちょっと時代錯誤かなと思いながら読み進めた。最初の事件が殺人ではなく失踪というところがうまい。殺人ではすぐ警察が出てくるので、あえて失踪とすることで素人の人物が捜査に乗り出す点を自然にしている。素人探偵の雨宮自身が「今日では、名探偵なんてものは、存在価値がないんだよ」と言うのも、書かれた時代を考えるとものすごくリアリティがあるし、だからこそ雨宮の立ち位置が絶妙と言える。
 事件の背景はどちらかと言えば当時の社会派推理小説に寄せていながらも、内容は骨のある本格推理小説で、アリバイのない人物、動機のある人物を探していくうちに意外な犯人像が浮かんでくる。謎の出し方が小出しでタイミングが良く、そして一つの事実が発見されると新しい謎が浮かぶという王道の展開で全く飽きが来ない。
 作者にしても乱歩賞後なのでかなり力を入れただろうが、それにふさわしい力作。細部まで考え抜かれており、面白かった。きめ細やかな作品、と言っていいだろう。

タイガー服部『古今東西プロレスラー伝説』(ベースボール・マガジン社)

新日本プロレスの名レフェリーが明かす 古今東西プロレスラー伝説

新日本プロレスの名レフェリーが明かす 古今東西プロレスラー伝説

  • 作者:タイガー服部
  • 発売日: 2020/02/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  業界キャリア50年を誇り、新日本プロレス、ジャパン・プロレス、全日本プロレスなどメジャー団体の歴史的試合を数多く裁いたレジェンド・レフェリーの著者は、外国人選手を発掘・招聘する渉外担当しても名高い。ハルク・ホーガンアンドレ・ザ・ジャイアントザ・ロード・ウォリアーズ長州力オカダ・カズチカ…日本のプロレス界に名を遺した新旧の名外国人選手から交流の深い日本人選手まで。古今東西のプロレスラーたちの知られざる素顔、リング外の仰天エピソードを明かす!(折り返しより引用)
 2013年5月より約4年間、『週刊プロレス』に連載された「タイガー服部のYOUなに聞きたい!?」を2020年2月、単行本化。オカダ・カズチカとの特別対談を収録。

 

 2020年2月19日の後楽園ホール大会で、惜しまれつつもレフェリーを引退したタイガー服部による、名プロレスラーたちの数々のエピソードを記した一冊。連載当時、聞き取りに近かった内容をそのまままとめてしまっているものだから、前ぺページに出てきただろう、なんて突っ込みたくなるくらい同じ内容が再び出てくるなんてこともあるが、本人の話し方も含めてそれもまた一興なんだろう。
 内容的にも十分面白いのだが、有名レスラーがほとんどで、どうしても他の著書でも似たようなエピソードが見受けられる。それならいっそ、ご本人の人生をそのまま一冊にしてくれた方がいいけれどなあ。当時のフロリダのプロレスとか、馬場と猪木の違いとか、ジャパンやWJ崩壊の裏側なんてところはぜひとも読んでみたい。所々では書かれているんだけど、まだまだ隠されたエピソードはあるはずなんだから。まあ服部本人からしたら、あくまで主役はプロレスラーで、レフェリーは見えなくていい存在だなんて思っているだろうけれど。
 ということで今のうちにもう一冊、まとめてほしいなあ。孫ぐらい年が離れているオカダとの緩い対談は必見です。

R-1ぐらんぷり2020を見た

 何一つ笑えなかった。低レベルだった。あっ、失笑したものはあったな。何だったか忘れたけれど。ここまでピン芸人の実力って落ちているの? それとも私自身が古い人間だから笑えないの?

 野田クリスタルの最後のネタは、結構問題になるんじゃないのか?

 と思っていたら、野田クリスタルが優勝か。M-1キングオブコントに比べると、R-1に思い入れのなさそうな芸人が優勝しているのは納得いかないな。

深緑野分『戦場のコックたち』(創元推理文庫)

戦場のコックたち (創元推理文庫)

戦場のコックたち (創元推理文庫)

  • 作者:深緑 野分
  • 発売日: 2019/08/09
  • メディア: 文庫
 

  1944年6月、ノルマンディー降下作戦が僕らの初陣だった。特技兵でも銃は持つが、主な武器はナイフとフライパンだ。新兵ティムは、冷静沈着なリーダーのエドら同年代の兵士たちとともに過酷なヨーロッパ戦線を戦い抜く中、たびたび戦場や基地で奇妙な事件に遭遇する。忽然と消え失せた600箱の粉末卵の謎、オランダの民家で起きた夫婦怪死事件、塹壕戦の最中に聞こえる謎の怪音――常に死と隣りあわせの状況で、若き兵士たちは気晴らしのため謎解きに興じるが。戦場の「日常の謎」を連作形式で描き、読書人の絶賛を浴びた著者初の長編ミステリ。(粗筋紹介より引用)
 2015年8月、東京創元社より書き下ろし単行本刊行。第154回直木賞候補作。2019年8月、文庫化。

 

 処女作『ベルリンは晴れているか』は読んでいないので、これが深野作品で初めて読むことになる。
 粗筋紹介や目次を見ると、第二次世界大戦下を舞台にした「日常の謎」もので、時代背景こそ特殊だが、それをちょっと利用した程度の作品かと思っていたら、とんでもない誤解だった。
 主人公は合衆国陸軍でコックをしている19歳のティム。ティムが遭遇する謎を解き明かす作品だが、第一章は降下作戦後に不要になったパラシュートを集める理由、第二章は消えた粉末卵の謎と一応「日常の謎」なのだが、第三章は互いに銃を打ち合ったかのように見える夫婦の怪死事件を取り扱っている。しかし「死」は戦場では当たり前だから、もしかしたらこれも「日常」なのかもしれない。第四章は冬のベルギー戦線における謎の音。そして第五章。やはり死と隣りあわせの状況は、非日常が日常なのだろう。
それにしても、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を舞台にし、謎解きに見せつつ、実際は戦争の表裏を描くというその構想は素晴らしい。19歳の少年も、戦場で変わっていく。友人たちも一人一人、戦場に散っていく。それでも「日常」を取り戻すため、「非日常」を生き延びていく。
やはり戦争って残酷だよね、と思いつつ、軍隊がなければ愛しき人たちの「日常」を守ることができない矛盾。コックは「生」を維持するための職業である。戦場という詩が生み出される日常に、これもまた矛盾の一つか。
 何とも言えない寂しさと悲しさ、そして平和の愛しさを奏でるようなエピローグが秀逸。傑作である。

北村薫『太宰治の辞書』(創元推理文庫)

太宰治の辞書 (創元推理文庫)

太宰治の辞書 (創元推理文庫)

  • 作者:北村 薫
  • 発売日: 2017/10/12
  • メディア: 文庫
 

 誰よりも本を愛する《私》の目は、その中に犯罪よりも深い謎をみつけてしまう。そして、静かな探偵になる。芥川龍之介はなぜ小説の結末を書き換えたのか。三島由紀夫はなぜ座談会で間違ったことを云ったのか。太宰治はなぜ他人の詩句「生れてすみません」を無断で自作のエピグラフに使ったのか。《私》はそれらの謎を解くために、もうこの世にいない作家たちの心の扉を開けてゆく。だが本物の表現者の心ほど怖ろしく、また魅力的なものはない。上記の三人の作家は全員、自ら命を絶っている。いわば被害者であり犯人なのだ。探偵が一つ一つの謎を解いた後に残る永遠の謎。その暗黒の輝きに震えながらも、《私》は天才作家に大切な言葉を奪われた無名詩人の魂の墓碑を建てようとする。穂村弘(粗筋紹介より引用)
 『小説新潮』に掲載の二作品に描きおろしを加え、2015年3月、新潮社より単行本刊行。エッセイ2本と短編を収録し、2017年10月、創元推理文庫化。

 

 「花火」「女生徒」「太宰治の辞書」に加え、『鮎川哲也と十三の謎'90』に掲載された短編「白い朝」と、エッセイ「一年後の『太宰治の辞書』」「二つの『現代日本小説体系』を収録。「円紫さんと私シリーズ」は『朝霧』で終わりかと思っていたが、まさかの新作。主人公の「私」はすでに結婚していた、中学生の息子がいる。そして今も出版社に勤めている。
 本の謎、作家の謎は確かにミステリなのだろう。ただ、本格ミステリのようにたった一つの解があるわけではない。それでも謎を解き明かすことに、人は魅力を感じてしまうのだろう。すでに「日常の謎」ですらなく、ミステリの範疇に入るのかさえ疑問だが、久しぶりにシリーズが読めたことに満足して終わる作品群である。

志水辰夫『帰りなん、いざ』(新潮文庫)

帰りなん、いざ (新潮文庫)

帰りなん、いざ (新潮文庫)

  • 作者:志水 辰夫
  • 発売日: 2008/06/30
  • メディア: 文庫
 

 トンネルを抜けると緑濃い山を背景に美しい里が現れた。浅茅が原だ。わたしは民家を借り、しばらくここで暮らすことにしたのだった。よそ者への警戒か、多くの視線を肌で感じる。その日、有力者たる氏家礼次郎、そして娘の紀美子と出会ったことで、眼前に新たな道が開いた。歳月を黒々と宿す廃鉱。木々を吹き抜ける滅びの風。わたしは、静かに胸を焦がす恋があることを知った――。(粗筋紹介より引用)
 1990年4月、講談社より単行本刊行。1993年7月、講談社文庫化。2008年6月、新潮文庫化。

 

 表題の「帰りなん、いざ」は陶淵明「帰去来辞」から来ている。
 冒険小説の旗手だったころから大人の恋愛ものに移行しているころの作品。そのせいか、中年の恋愛を取り扱った、どことなくセンチメンタルな雰囲気が流れている。どう考えても怪しいだろ、と言わんばかりの主人公。それでも受け入れるところは受け入れようとする村の人々。ゆっくりとした時の流れで、少しずつ変わっていく主人公。現実に戻し、本来の目的を果たさせようとする集団。読みごたえはあるのだが、どちらかと言えば昔のほうが好きかな。
 最後はちょっとドタバタしすぎかな。もうちょっと落ち着きがあってもよかったと思う。楽しく読めたけれどね。