平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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北重人『月芝居』(文春文庫)

 

月芝居 (文春文庫)

月芝居 (文春文庫)

 

  老中・水野忠邦による天保の改革で、無届けの抱屋敷は厳しく取り締まられて百姓地になる一方、大名・旗本の拝領屋敷交換という相対替がさかんに行われた。江戸屋敷を失った交代寄合左羽家は分家に居候中。留守居役の小日向弥十郎は、目下屋敷探しに余念がないのだが、その最中に江戸の闇に係ってしまう…。(粗筋紹介より引用)
 2007年12月、文藝春秋より単行本刊行。2010年9月、文庫化。

 お気に入りの作家、北重人。今頃になって少しずつ読んでいる。
 舞台は天保の改革真っ最中。主人公は西美濃に領地をもつ交代寄合(大名に準じる扱いを受ける高級旗本)「左羽家三千石」の江戸留守居役、小日向弥十郎。若いころは剣の達人で、当時の剣道仲間には遠山金四郎がいる。52歳で国許には妻と子がいるものの、剣道仲間の友人で江戸橋広小路の元締めだった亡き甚五郎の妻で、今では元締めを務めている右京と好い仲になっている。弥十郎は気が付いたら老中水野忠邦南町奉行鳥井甲斐守などが絡んだ悪事の秘密に近づいてしまい、御家人崩れの悪党波嶋三斎に命を狙われるようになる。
 支店から出張している所長が支店の我儘に耐えつつ駆けずり回っていたら、いつしか本社のでかい悪事と遭遇する羽目になってしまうのだが、この流れがあまりにもスムーズ過ぎるというか、「あれよあれよ」という言葉がぴったりくるぐらいな巻き込まれ方なので、ちょっと戸惑ってしまう。天保の改革の頃の江戸の描写があまりにも見事だし、単に勉強不足だが抱屋敷とか相対替とかも全然知らなかったので、もう少し時代の雰囲気に身を任せていたかったところ。敵側の仕掛け方にやや生ぬるいところがあるものの、表沙汰にしないようにするなら仕方のないところか。若いころの友情っていいよね、みたいな作品で、当時の剣道仲間たちが助け合う姿は素直に感動。刀を交えるシーンは、もう少し迫力があってもよかったと思う。
 内容のわりに地味なところはあるものの、読み終わってみるとじわーっととくる作品。この枯れた味が、この作者の本領だと思う。楽しかった。

19年、経ちました

 このサイトもいよいよ20年目に突入。日記こそブログに移してはいるものの、個人のサイトとしては長いほうに入ると思う。どこまでできるかわからないけれど、とりあえずのんびりやっていこうとは思う。
 ただ年末から咳が止まらない。病院へ行って薬をもらったけれど、まだ治らない。困ったものだ。

マックス・アフォード『魔法人形』(国書刊行会 世界探偵小説全集45)

 

魔法人形 世界探偵小説全集 4

魔法人形 世界探偵小説全集 4

 

 魔力の存在など信じはしないだろうね」旧友ロロの言葉にジェフリー・ブラックバーンは目をみはった。高名な悪魔学研究家ロチェスター教授の屋敷で、まるで中世の魔術が甦ったかのような怪事件が発生しているというのだ。死を予告する不気味な人形が、次々に家族のもとに送りつけられ、すでに教授の妹が謎の転落死を遂げていた。教授の秘書を務めるロロに乞われるまま、ロチェスター屋敷に乗り込んだブラックバーンだったが、その到着の朝、邸内の礼拝堂で長男ロジャーの死体が発見される。死体の胸には、予告どおりナイフが深々と突き刺さっていた……。怪奇趣味横溢の難事件に挑む名探偵ブラックバーンがたどり着いた意外な真相とは?(粗筋紹介より引用)
 1937年、発表。2003年8月、邦訳刊行。

 作者はオーストラリアのラジオ・ドラマ脚本家。ジェフリー・ブラックバーン夫妻の活躍するミステリ・ドラマは600話を超える人気番組になったとのこと。ミステリの方も長編6作があり、1冊を除いてブラックバーンが登場する。本作は第二長編。
 悪魔学研究科、死の予告の人形、連続殺人事件とカーを彷彿させるオカルティズム。ブラックバーンがわからないと叫びながらも犯人に迫る。最後まで誰が犯人かわからない状況も、読者を十分楽しませてくれる。トリックの方は面白みはないけれど、犯人に迫るロジックは面白い。特に遺言状の扱い方が巧い。犯人像はあからさまに怪しいのだが、動機がギリギリまで結びつかなかった。
 ただカーと比べると少々軽いかなという気はした。これはやっぱり、トリックが今一つなところだろうか。もちろんトリックに重点を置いた作品ではないのだから仕方がないのだが、カーに似たような作品を読んでしまうと、期待してしまうのは読者の性だろう。
 ブラックバーンという登場人物がどのような人物か浮かんでこないのが少々残念だが、読んでいて十分楽しめた。

城平京『虚構推理短編集 岩永琴子の出現』(講談社タイガ)

 

虚構推理短編集 岩永琴子の出現 (講談社タイガ)

虚構推理短編集 岩永琴子の出現 (講談社タイガ)

 

 

 妖怪から相談を受ける『知恵の神』岩永琴子を呼び出したのは、何百年と生きた水神の大蛇。その悩みは、自身が棲まう沼に他殺死体を捨てた犯人の動機だった。――「ヌシの大蛇は聞いていた」
 山奥で化け狸が作るうどんを食したため、意図せずアリバイが成立してしまった殺人犯に、嘘の真実を創れ。――「幻の自販機」
 真実よりも美しい、虚ろな推理を弄ぶ、虚構の推理ここに帰還!(粗筋紹介より引用)<br>
 「第一話 ヌシの大蛇は聞いていた」「第二話 うなぎ屋の幸運日」「第三話 電撃のピノッキオ、あるいは星に願いを」「第四話 ギロチン三四郎」「第五話 幻の自販機」を収録。2018年12月、刊行。

 『虚構推理 鋼人七瀬』に出てくる、一眼一足であやかしの者の相談事を受ける岩永琴子が主人公の短編集。素っ気ない恋人、桜川九郎も登場。「第一話」と「第三話」は『メフィスト』に掲載されたが、残りは書き下ろし。もっとも「第一話」から「第四話」までは、『少年マガジンR』に連載中のコミックス『虚構推理』第7~9巻(画:片瀬茶柴)に漫画で収録されている。本作品の表紙も、片瀬茶柴である。
 漫画原作の方が忙しいのか、文章の方はさっぱりな城平京。久しぶりの虚構推理シリーズは短編集。もっと書けばいいのに、と思ってしまう。
 あやかしの者からの相談を受け、嘘の推理を組み立てるという方向性は変わっていないが、そのウエイトはかなり小さくなっている。琴子と九郎のやり取りは読んでいて楽しいのだが、嘘の推理が少なくなるのはシリーズの楽しみが減ってしまっていて残念。短編だからそこまで複雑なことはできないのかもしれないが。それに、いつも九郎が死んでばかりいたら、読んでいる方もたまらないか。
 作者の執筆ペースを考えたら、読めただけで十分ということになるだろうか。

 

牧薩次『完全恋愛』(マガジンハウス)

 

完全恋愛

完全恋愛

 

 

 昭和20年……アメリカ兵を刺し殺した凶器は忽然と消失した。昭和43年……ナイフは2300キロの時空を飛んで少女の胸を貫く。昭和62年……「彼」は同時に二ヶ所に出現した。平成19年……そして、最後に名探偵が登場する。推理作家協会賞受賞の「トリックの名手」T・Mがあえて別名義で書き下ろした究極の恋愛小説+本格ミステリ1000枚。(帯より引用)
 2008年1月、書き下ろし刊行。2009年、第9回本格ミステリ大賞受賞。

 牧薩次といえば初期作『仮題・中学殺人事件』から登場するスーパー&ポテトシリーズのポテトである。そして作者辻真先アナグラムでもある。ということで、今更ながら話題になったこの作品を読む。
 「完全恋愛」とは作者の造語。「他者にその存在さえ知られない罪を完全犯罪と呼ぶ では他者にその存在さえ知られない恋は完全恋愛と呼ばれるべきか?」と冒頭にある通り、他者に知られなかった恋愛をテーマに取り扱っている。本書は事件を解決した牧薩次が、洋画界の巨匠・柳楽糺こと本庄究に許可を取って書いた一代記という形式になっている。
 家族を空襲で亡くし、福島県の刀掛温泉郷の湯元である伯父に引き取られていた究は、疎開していた美術界の巨匠・小仏榊の娘、朋音に出会ったときから物語は始まる。
 第一の殺人は昭和22年、温泉に居た素行の悪い進駐軍の大尉が殺害される。しかし凶器はどこにもない。
 第二の殺人は昭和43年、朋音が嫁いだ成金の真刈夕馬の娘・火菜と、真刈が倒産させた浅沼興業の若社長・宏彦にナイフで殺害される。しかし火菜は西表島におり、宏彦は福島と山形の県境にある飯森山の山腹に居た。宏彦もまた雪崩をひき起こし、自殺する。
 第三の殺人は昭和62年、刀掛温泉を丸ごと買い取ろうとしていた真刈夕馬が磐梯山のゲストハウスの近くの沼で溺死する。夕馬と一緒にいた画家の野々山はゲストハウスで究と会ったと主張するも、究は東京の自宅におり、証人もいた。弟子として30年前から究を世話しており、火菜の娘・珠美と結婚した藤堂魅惑は究が犯人ではないかと疑うものの、アリバイを崩すことはできなかった。
 そして平成19年、牧薩次が残された謎を解く。

 個々の事件を見る限りではそこまで大それたトリックを使っているわけではなく、粗もある。特に三番目の事件のアリバイトリックは、反則だろうと言いたくなるぐらいの禁じ手である。それでも本書が傑作となったのは、本庄究という男の一代記を描き切ったこと、そして究にまつわる登場人物の想いを描き切ったところにあるだろう。人の心の謎が絡むことにより、各々の事件が連結され、そして一つの本格ミステリが完成されたと言える。一部の謎については想像しやすいものだろう。それでも物語の全体像をすべてつかみきることはできなかったはずださらにタイトルで書かれた謎が最後でようやく明らかにされる。ここまで書かれると、少々の矛盾などはどうでもよくなるから不思議だ。それと時代描写はさすがだ。
 言い方が悪いけれど、これだけのベテランがこれだけの仕掛けを持った作品を書き切ったことに驚嘆した。やはり傑作と言っていいだろう。